Theme Preview Rss

記憶ゲーが好きになれない理由を考えてみた

ベクトルが過去に向いてるんだよね。

例えば、お気に入りゲームの1つであるカルカソンヌは
コマを置いて、この街を完成させる、もしくは乗っ取る予定。
と自分の中で未来のプランが立っている。
そして、それが上手くいくと「よっしゃあ!」って感じである。
これは妨害にもいえて、この街を妨害したいという明確な意思の元、行動が決定される。
また、基本的に相手にもその意思は伝わるため、上手くいかなくても笑いを生む。


一方、記憶ゲーは、今までどうだったかを覚えておくゲームである。
なんとなく答え合わせをやってる気分になる。
創造性が0なのである。
言い換えれば、正解が存在するゲーム。

もうひとつ、記憶ゲーの難点は息つく暇がない。
ほとんどのゲームで、最初から最後まで脳の記憶領域(そういう風に言うかは知らん)を使わなくてはいけない。
だから、すごい疲れる。
しかも、足し算の記憶が多い。
引き算の記憶は限りがあるので(それぞれの色は9枚しかないなど)、「だいたいこんなもんだろう」と予測も立てやすいが、
足し算は無限に増え続けるので(実際は無限ではないがw)、記憶領域のキャパシティをどれだけ準備すればいいかが不明瞭で苦しい。


そんなわけで、記憶ゲーが苦手である。

0 コメント:

コメントを投稿